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高津臣吾のメジャーや監督など日米通算成績まとめ!年俸推移も!

サイドスローからのシンカーを武器に、ヤクルトスワローズやメジャーリーグなどで守護神として活躍したのが高津臣吾投手です。

韓国や台湾、独立リーグなどを経て現役引退後は監督としても手腕を発揮しています。

選手時代から監督時代にかけて日本一を何度も経験し、もはや優勝請負人ともいえる存在といっていいでしょう。

そんな高津臣吾投手のヤクルトやメジャーリーグでの選手時代の日米通算成績や監督としての成績は、どんなものでしょうか?

選手時代と監督時代の年俸推移も気になります。

今回は、高津臣吾投手のメジャーや監督など日米通算成績や年俸推移について見ていきます。

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高津臣吾のメジャーや監督など日米通算成績

高津臣吾投手は日本プロ野球(ヤクルト)で15年、メジャーリーグで2年の合わせて17年間、日米プロ野球でプレーしました。(その他マイナーリーグや韓国・台湾、独立リーグでもプレー)

リリーフ投手だった高津臣吾投手が17年間の日米プロ野球で挙げた日米通算セーブ数は313で、浮き沈みはあったものの全盛期はヤクルト3年目からメジャーリーグ1年目までの14年間といっていいでしょう。

日本での通算286セーブは日本プロ野球(NPB)歴代2位、日米通算300セーブは日本人2人目の快挙です。(2023年4月30日時点)

また、選手として日本一に貢献しただけでなく2020年からヤクルトの監督として2度のリーグ制覇、2021年には日本一に導いています。(監督通算成績は後述)

高津臣吾の日米通算成績
697試合 44勝52敗 313セーブ 16ホールド 防御率3.22

では、高津臣吾投手の通算成績を日本プロ野球(選手・監督)とメジャーリーグ別で見ていきましょう。

高津臣吾の年度別成績~ヤクルト(選手時代)

高津臣吾投手は1990年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団し、1991~2003年と2006・2007年の15年間、日本プロ野球においては全期間、ヤクルトスワローズでプレーしました。

高津臣吾投手の日本プロ野球(ヤクルト)での通算成績は、598試合に登板し3646286セーブ8ホールドで防御率は3.20でした。

先発投手として入団しましたが成績を残せず、1993年からリリーフに転向、新しい武器「シンカー」を決め球に活躍し始めました。

以降は抑えのエースとしてリーグ優勝や日本一に貢献、1994年に初の最優秀救援投手を獲得すると、4回の最優秀救援投手になっています。

2003年にFA権を行使してメジャーリーグに移籍、2006年に3年ぶりにヤクルトスワローズに復帰し史上2人目の日米通算300セーブを達成するも2007年はケガもあり思うような成績が残せずに戦力外となりました。

高津臣吾投手のヤクルトでの年度別成績と通算成績は、以下の通りです。

高津臣吾の日本プロ野球(ヤクルト)での年度別成績と通算成績

年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 防御率
1991 ヤクルト 13 1 1 0 4.23
1992 ヤクルト 23 5 3 0 4.68
1993 ヤクルト 56 6 4 20 2.30
1994 ヤクルト 47 8 4 19 2.86
1995 ヤクルト 39 1 3 28 2.61
1996 ヤクルト 39 2 6 21 3.24
1997 ヤクルト 51 7 4 7 2.04
1998 ヤクルト 42 2 3 3 5.56
1999 ヤクルト 40 1 1 30 2.18
2000 ヤクルト 35 0 1 29 2.08
2001 ヤクルト 52 0 4 37 2.61
2002 ヤクルト 44 0 2 32 3.89
2003 ヤクルト 44 2 3 34 3.00
2006 ヤクルト 48 1 2 13 8 2.74
2007 ヤクルト 25 0 5 13 0 6.17
NPB通算 598 36 46 286 8 3.20

※赤太字はリーグ最高(タイトル)

タイトル
最優秀救援投手:4回(1994・1999・2001・2003年)

表彰
正力賞:1回(2021年)など

高津臣吾の年度別成績~メジャーリーグ

高津臣吾投手は2004年にメジャーリーグのシカゴ・ホワイトソックスに移籍し、2005年シーズン途中からニューヨーク・メッツに移籍し、メジャーリーグでは2年間プレーしました。

高津臣吾投手のメジャーリーグでの通算成績は、99試合に登板し8627セーブ8ホールドで防御率は3.38でした。

ほとんどがリリーフ投手としての登板で、2004年のシーズン途中からはクローザーとして成功しました。

しかし翌2005年はシーズン序盤から打ち込まれ、シーズン途中で戦力外通告を受け、思うような成績を残せずメジャーリーグを後にしました。

高津臣吾投手のメジャーリーグでの年度別成績と通算成績は、以下の通りです。

高津臣吾のメジャーリーグでの年度別成績と通算成績

年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 防御率
2004 CWS 59 6 4 19 4 2.31
2005 CWS・NYM 40 2 2 8 4 5.20
メジャー通算 99 8 6 27 8 3.38

※CWS:シカゴ・ホワイトソックス、NYM:ニューヨーク・メッツ

高津臣吾の年度別成績~監督

高津臣吾投手の監督時代は2020年からで、二軍監督からの昇格でした。

監督就任初年度の2020年こそ最下位でシーズンを終えましたが、続く2021年以降は2年連続でリーグ優勝を果たし2021年には日本シリーズを制し日本一に輝きました。

2023年も継続して監督としてヤクルトを指揮しています。

高津臣吾の監督通算成績
549試合 251勝263敗 35引分 勝率.488
※2023年シーズン終了時点

高津臣吾の年度別監督成績

年度 球団 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 順位
2020 ヤクルト 120 41 69 10 .373 6位
2021 ヤクルト 143 73 52 18 .584 1位
2022 ヤクルト 143 80 59 4 .576 1位
2023 ヤクルト 143 57 83 3 .407 5位
通算 549 251 263 35 .488

※2021年は日本一

高津臣吾のメジャーや監督など年俸推移

続いて、高津臣吾投手の年俸推移と生涯年俸を見ていきましょう。

ルーキーイヤーから2年間は先発投手だった高津臣吾投手の年俸が右肩上がりに推移するようになったのはリリーフ投手に転向した1993年からで、成績に応じて減額したシーズンはあるもののメジャーリーグに移籍するまではほぼ右肩上がりに推移しています。

7年目の1997年には大台の1億円を突破、ヤクルト時代の最高年俸は2003年の1億7,000万円でした。

そして、メジャーリーグに移籍して年俸はさらに跳ね上がり、2年目の2005年にキャリア最高年俸の250万ドル(約27,500万円)に到達します。

高津臣吾の生涯年俸
日本プロ野球(選手):11億8,840万円(契約金除く)
日本プロ野球(監督):4億4,000万円
メジャーリーグ:325万ドル(約3億5,750万円)
合計:約19億8,590万円(契約金除く)
※年俸額は推定です。

高津臣吾の年俸推移~ヤクルト(選手時代)

高津臣吾投手の日本プロ野球(ヤクルト)での年俸推移は、以下の通りです。

高津臣吾の日本プロ野球(ヤクルト)での年俸推移

  • 1990年 5,500万円(契約金・ドラフト6位)
  • 1991年 720万円
  • 1992年 720万円
  • 1993年 1,600万円
  • 1994年 5,300万円
  • 1995年 6,500万円
  • 1996年 9,200万円
  • 1997年 1億円
  • 1998年 1億円
  • 1999年 7,800万円
  • 2000年 1億4,000万円
  • 2001年 1億4,000万円
  • 2002年 1億4,000万円
  • 2003年 1億7,000万円
  • 2006年 3,000万円
  • 2007年 5,000万円

合計:118,840万円 契約金除く

※年俸額は推定です。

高津臣吾の年俸推移~メジャーリーグ

高津臣吾投手のメジャーリーグでの年俸推移は、以下の通りです。

高津臣吾のメジャーリーグでの年俸推移

  • 2004年 75万ドル(シカゴ・ホワイトソックス)
  • 2005年 250万ドル(シカゴ・ホワイトソックス→ニューヨーク・メッツ)

合計:325万ドル(約35,750万円)

※年俸額は推定です。

高津臣吾の年俸推移~ヤクルト(監督時代)

高津臣吾投手の監督(ヤクルト)での年俸推移は、以下の通りです。

高津臣吾の監督(ヤクルト)での年俸推移

  • 2020年 8,000万円
  • 2021年 8,000万円
  • 2022年 8,000万円
  • 2023年 1億円
  • 2024年 1億円

合計:44,000万円 

※年俸額は推定です。

高津臣吾のメジャーや監督など日米通算成績と年俸推移~まとめ

今回は、高津臣吾投手のメジャーや監督など日米通算成績や年俸推移について見てきました。

高津臣吾投手の日本プロ野球とメジャーリーグでの日米通算成績は697試合に登板して、4452286セーブ8ホールド 防御率3.22で、全盛期はヤクルト3年目からメジャーリーグ1年目までの14年間といっていいでしょう。

日本での通算286セーブは日本プロ野球(NPB)歴代2位、日米通算300セーブ以上は日本人では2人しかいません。(2023年11月6日時点)

リリーフ投手に定着し成績も安定してきた1993年から年俸はほぼ右肩上がりに推移し、日本プロ野球での最高年俸は2003年の17,000万円、キャリア最高年俸は2005年のニューヨーク・メッツ時代の250万ドル(約27,500万円)、監督時代を含めた生涯年俸は約198,590万円(契約金除く)です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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