PL学園のエースとして甲子園を沸かせ、巨人では「三本柱」の一角を担って優勝に貢献するなど、記憶に残る活躍を続けてきたのが桑田真澄さんです。
キャリア最終盤ではメジャーリーグにも挑戦し、引退後は指導者として巨人で尽力しています。
そんな桑田真澄さんですが、勝利数やタイトルなど通算成績は、どんなものでしょうか?
巨人とメジャーでの年俸推移やキャリア最高年俸も気になります。
今回は、桑田真澄さんの巨人とメジャーでの勝利数やタイトルなど通算成績や年俸推移を見ていきます。
桑田真澄の勝利数やタイトルなど通算成績
桑田真澄さんは1986~2006年までの21年間をNPB(巨人)、2007年の1年間をメジャーリーグ(パイレーツ)に在籍し、合わせて22年間の現役生活でした。
通算勝利数は173勝で200勝には届きませんでしたが、最優秀防御率2回(1987・2002年)と最多奪三振1回(1994年)、最高勝率1回(1998年)のタイトルを獲得しています。
桑田真澄さんのNPB(巨人)時代とMLB(パイレーツ)時代、日米の通算成績は、以下の通りです。
NPB(巨人):442試合 173勝141敗 14セーブ 防御率3.55
MLB(パイレーツ):19試合 0勝1敗 3ホールド 防御率9.43
日米通算:461試合 173勝142敗 14セーブ 3ホールド 防御率3.59
タイトル
最優秀防御率:2回(1987・2002年)
最多奪三振:1回(1994年)
最高勝率:1回(1998年)
表彰
沢村賞:1回(1987年)
最優秀選手:1回(1994年)
ベストナイン:1回(1987年)
ゴールデングラブ賞:8回(1987・1988・1991・1993・1994・1997・1998・2002年)
最優秀投手:1回(1987年)など
では、桑田真澄さんの通算成績をNPB(巨人)時代とMLB(パイレーツ)時代に分けて見ていきましょう。
桑田真澄の年度別成績~NPB(巨人)
桑田真澄さんの現役生活は22年間でしたが、そのほとんどともいえる21年間をNPB巨人に在籍しています。
2年目の1987年には早くも15勝を挙げ、斎藤雅樹さん、槙原寛己さんとともに先発の軸となり「三本柱」として活躍しました。
順調に勝ち星を重ねていましたが、1995年に右肘側副靭帯断裂のためトミー・ジョン手術を受け、1996年は登板はなく、1997年に復活し1999年以降はリリーフ投手として登板する機会も多くなりました。
次第に故障も多くなると登板も減っていき、2006年がNPB(巨人)での最後の登板となりました。
桑田真澄さんの巨人時代の年度別成績と通算成績は、以下の通りです。
桑田真澄の年度別成績~巨人
年度 | 球団 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 防御率 |
1986年 | 巨人 | 15 | 2 | 1 | 0 | – | 5.14 |
1987年 | 巨人 | 28 | 15 | 6 | 0 | – | 2.17 |
1988年 | 巨人 | 27 | 10 | 11 | 0 | – | 3.40 |
1989年 | 巨人 | 30 | 17 | 9 | 0 | – | 2.60 |
1990年 | 巨人 | 23 | 14 | 7 | 0 | – | 2.51 |
1991年 | 巨人 | 28 | 16 | 8 | 1 | – | 3.16 |
1992年 | 巨人 | 29 | 10 | 14 | 0 | – | 4.41 |
1993年 | 巨人 | 26 | 8 | 15 | 0 | – | 3.99 |
1994年 | 巨人 | 28 | 14 | 11 | 1 | – | 2.52 |
1995年 | 巨人 | 9 | 3 | 3 | 0 | – | 2.48 |
1997年 | 巨人 | 26 | 10 | 7 | 0 | – | 3.77 |
1998年 | 巨人 | 27 | 16 | 5 | 0 | – | 4.08 |
1999年 | 巨人 | 32 | 8 | 9 | 5 | - | 4.07 |
2000年 | 巨人 | 30 | 5 | 8 | 5 | - | 4.50 |
2001年 | 巨人 | 16 | 4 | 5 | 2 | - | 4.83 |
2002年 | 巨人 | 23 | 12 | 6 | 0 | - | 2.22 |
2003年 | 巨人 | 14 | 5 | 3 | 0 | - | 5.93 |
2004年 | 巨人 | 16 | 3 | 5 | 0 | - | 6.47 |
2005年 | 巨人 | 12 | 0 | 7 | 0 | 0 | 7.25 |
2006年 | 巨人 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 6.94 |
NPB通算 | 442 | 173 | 141 | 14 | 0 | 3.55 |
※赤太字はリーグ最高(タイトル)
桑田真澄の年度別成績~メジャー(パイレーツ)
桑田真澄さんは巨人を退団すると、メジャーリーグのピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結び、2007年6月にメジャーデビューを果たしました。
先発登板はありませんでしたが、8月に戦力外通告を受けるまで中継ぎ投手として19試合に登板しました。
残念ながらメジャーリーグでの勝利はありませんでした。
桑田真澄さんのメジャー時代(パイレーツ)の年度別成績と通算成績は、以下の通りです。
桑田真澄の年度別成績~メジャー(パイレーツ)
年度 | 球団 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 防御率 |
2007年 | PIT | 19 | 0 | 1 | 0 | 3 | 9.43 |
MLB通算 | 19 | 0 | 1 | 0 | 3 | 9.43 |
PIT:ピッツバーグ・パイレーツ
桑田真澄の巨人とメジャーでの年俸推移と生涯年俸
続いて、桑田真澄さんの年俸推移と生涯年俸を見ていきましょう。
桑田真澄さんは1985年にドラフト1位指名され、契約金6,500万円、年俸480万円で巨人に入団しました。
年俸は概ね右肩上がりに推移し、10年目の1995年に大台の1億円を突破し、2003年にキャリア最高年俸の3億4,000万円に到達しています。
NPB(巨人):28億3,020万円(契約金除く)
メジャー(パイレーツ):38万ドル(約4,180万円)
合計:約28億7,200万円(契約金除く)
※年俸額は推定です。
NPB(巨人)
桑田真澄さんのNPB(巨人)での年俸推移は、以下の通りです。
桑田真澄のNPB(巨人)での年俸推移
- 1985年 6,500万円(契約金・ドラフト1位)
- 1986年 480万円
- 1987年 660万円
- 1988年 2,160万円
- 1989年 2,900万円
- 1990年 5,200万円
- 1991年 7,600万円
- 1992年 9,840万円
- 1993年 8,880万円
- 1994年 8,300万円
- 1995年 1億4,300万円
- 1996年 1億2,000万円
- 1997年 1億円
- 1998年 1億6,000万円
- 1999年 2億1,000万円
- 2000年 2億4,000万円
- 2001年 2億円
- 2002年 1億9,000万円
- 2003年 3億4,000万円
- 2004年 3億500万円
- 2005年 2億1,200万円
- 2006年 1億5,000万円
NPB(巨人)合計:28億3,020万円 ※契約金除く
※年俸額は推定です。
メジャー(パイレーツ)
桑田真澄さんのメジャー(パイレーツ)での年俸推移は、以下の通りです。
桑田真澄のメジャー(パイレーツ)での年俸推移
- 2007年 38万ドル
メジャー(パイレーツ)合計:38万ドル(約4,180万円)
※年俸額は推定です。
桑田真澄さんの甲子園での成績と記録は、こちらをご参照下さい↓↓
桑田真澄の勝利数やタイトルなど通算成績と年俸推移~まとめ
今回は、桑田真澄さんの巨人とメジャーでの勝利数やタイトルなど通算成績や年俸推移を見てきました。
桑田真澄さんの通算勝利数は173勝で、最優秀防御率2回(1987・2002年)と最多奪三振1回(1994年)、最高勝率1回(1998年)のタイトルを獲得しています。
メジャーリーグでの勝利はなく、勝利数とタイトルはすべてNPB時代(巨人)のものです。
年俸は年俸は概ね右肩上がりに推移し2003年にキャリア最高年俸の3億4,000万円に到達、NPB(巨人)とメジャー(パイレーツ)合わせた生涯年俸は約28億7,200万円(契約金除く)です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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