プロ野球の工藤公康さんは優勝請負人と呼ばれ、現役と監督を問わず所属する球団のほとんどで日本一の栄冠を手にしてきました。
いったい何回日本一を経験してきたのか、その回数と勝負強さを見てみると驚くべきものがありました。
優勝請負人・工藤公康さんの勝利数など通算成績と年俸推移はどうなっているのでしょうか?
今回は、優勝請負人・工藤公康さんが日本一になった回数は何回なのか、勝利数など通算成績と年俸推移を現役と監督別で見ていきます。
工藤公康の日本一の回数
工藤公康さんは29年の現役時代のうち日本一が11回、7年の監督時代には日本一が5回、と合わせて16回の日本一を経験しています。
36年の選手・監督生活のうち16回の日本一ですから驚異的です。(日本シリーズには19回出場)
短期決戦にめっぽう強いというか、異常ともいえる勝負強さを発揮しており、現役時代は日本シリーズに14回出場して優勝11回、監督時代は5回出場してなんとすべて優勝しています。
西武、ダイエー、巨人と3球団で日本一になっており、在籍した球団の中で日本一になれなかったのは横浜(2007~2009年在籍)のみです。
これだけの実績を残していれば優勝請負人と呼ばれるようになったのも当然のことでしょう。
工藤公康の日本一の回数は、以下の通りです。
工藤公康の日本一の回数:16回
- 現役時代(29年):11回(1982・1983・1986~1988・1990~1992・1999・2000・2002年)
※リーグ優勝14回(1982・1983・1985~1988・1990~1994・1999・2000・2002年) - 監督時代(7年):5回(2015・2017~2020年)
※リーグ優勝3回(2015・2017・2020年)
工藤公康の勝利数など通算成績
工藤公康さんは1982~2010年の29年間の現役生活、2015~2021年はソフトバンクの監督として指揮を執りました。(2023年時点)
通算成績を見ると、勝利数は現役時代が224勝で名球会入り、監督時代は558勝で.596と6割近い高勝率を残しました。
選手としても監督としても堂々たる通算成績といえます。
工藤公康さんの現役時代と監督時代の通算成績は、以下の通りです。
現役:635試合 224勝142敗 防御率3.45
監督:978試合 558勝278敗 42引分 勝率.596
では、工藤公康さんの通算成績を現役時代と監督時代に分けて見ていきましょう。
工藤公康の勝利数など通算成績~現役
工藤公康さんは1981年ドラフト6位指名で西武ライオンズに入団し、1982~2010年の29年間を西武、ダイエー、巨人、横浜の4球団でプレーしました。
工藤公康さんの現役時代の通算成績は、635試合に登板し224勝142敗で防御率は3.45でした。
プロ入りしてから芽が出るまで数年を要しましたが、最速149km/hのストレートと大きなカーブを柱にスライダーやシンカーなどの変化球を操り、29年間のキャリアを通して先発投手を中心に活躍しました。
これだけキャリアの長い大投手に最多勝のタイトルがないのは不思議ですが、4回の最優秀防御率や2回の最多奪三振のタイトルなどを獲得しています。
工藤公康さんの現役時代の年度別成績と通算成績は、以下の通りです。
工藤公康の現役時代の年度別成績と通算成績
年度 | 球団 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 防御率 |
1982年 | 西武 | 27 | 1 | 1 | 0 | – | 3.41 |
1983年 | 西武 | 23 | 2 | 0 | 0 | – | 3.24 |
1984年 | 西武 | 9 | 0 | 1 | 0 | – | 2.92 |
1985年 | 西武 | 34 | 8 | 3 | 0 | – | 2.76 |
1986年 | 西武 | 22 | 11 | 5 | 0 | – | 3.22 |
1987年 | 西武 | 27 | 15 | 4 | 0 | – | 2.41 |
1988年 | 西武 | 24 | 10 | 10 | 1 | – | 3.79 |
1989年 | 西武 | 33 | 4 | 8 | 2 | – | 4.96 |
1990年 | 西武 | 13 | 9 | 2 | 0 | – | 3.36 |
1991年 | 西武 | 25 | 16 | 3 | 0 | – | 2.82 |
1992年 | 西武 | 24 | 11 | 5 | 0 | – | 3.52 |
1993年 | 西武 | 24 | 15 | 3 | 0 | – | 2.06 |
1994年 | 西武 | 24 | 11 | 7 | 0 | – | 3.44 |
1995年 | ダイエー | 22 | 12 | 5 | 0 | - | 3.64 |
1996年 | ダイエー | 29 | 8 | 15 | 0 | - | 3.51 |
1997年 | ダイエー | 27 | 11 | 6 | 0 | - | 3.35 |
1998年 | ダイエー | 15 | 7 | 4 | 0 | - | 3.07 |
1999年 | ダイエー | 26 | 11 | 7 | 0 | - | 2.38 |
2000年 | 巨人 | 21 | 12 | 5 | 0 | - | 3.11 |
2001年 | 巨人 | 5 | 1 | 3 | 0 | - | 8.44 |
2002年 | 巨人 | 24 | 9 | 8 | 0 | - | 2.91 |
2003年 | 巨人 | 18 | 7 | 6 | 0 | - | 4.23 |
2004年 | 巨人 | 23 | 10 | 7 | 0 | - | 4.67 |
2005年 | 巨人 | 24 | 11 | 9 | 0 | 0 | 4.70 |
2006年 | 巨人 | 13 | 3 | 2 | 0 | 0 | 4.50 |
2007年 | 横浜 | 19 | 7 | 6 | 0 | 0 | 3.91 |
2008年 | 横浜 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5.27 |
2009年 | 横浜 | 46 | 2 | 3 | 0 | 10 | 6.51 |
2010年 | 西武 | 10 | 0 | 2 | 0 | 0 | 10.50 |
NPB通算 | 635 | 224 | 142 | 3 | 10 | 3.45 |
※赤太字はリーグ最高(タイトル)
タイトル
最優秀防御率:4回(1985・1987・1993・1999年)
最多奪三振:2回(1996・1999年)
最高勝率:4回(1987・1991・1993・2000年)※最多タイ
表彰
最優秀選手:2回(1993・1999年)
ベストナイン:3回(投手部門:1987・1993・2000年)
ゴールデングラブ賞:3回(投手部門:1994・1995・2000年)
正力松太郎賞:5回(1987・2015・2018~2020年) ※歴代最多
工藤公康の勝利数など通算成績~監督
工藤公康さんは2015年から2021年までの7年間、ソフトバンクの監督を務めました。
978試合で指揮を執り、通算成績は558勝278敗42引分で勝率.596でした。
6割近い勝率も驚異的ですが、7年間でリーグ優勝3回、クライマックスシリーズにも強く日本シリーズに5回出場してすべて優勝しています。
978試合 558勝278敗 42引分 勝率.596
リーグ優勝3回(2015・2017・2020年)
日本一5回(2015・2017~2020年)
工藤公康の年度別監督成績
年度 | 球団 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 順位 |
2015年 | ソフトバンク | 143 | 90 | 49 | 4 | .647 | 1位 |
2016年 | ソフトバンク | 143 | 83 | 54 | 6 | .606 | 2位 |
2017年 | ソフトバンク | 143 | 94 | 49 | 0 | .657 | 1位 |
2018年 | ソフトバンク | 143 | 82 | 60 | 1 | .577 | 2位 |
2019年 | ソフトバンク | 143 | 76 | 62 | 5 | .551 | 2位 |
2020年 | ソフトバンク | 120 | 73 | 42 | 5 | .635 | 1位 |
2021年 | ソフトバンク | 143 | 60 | 62 | 21 | .492 | 4位 |
通算 | 978 | 558 | 278 | 42 | .596 |
工藤公康の年俸推移
続いて、工藤公康さんの年俸推移と生涯年俸を見ていきましょう。
輝かしいキャリアを誇る工藤公康さんですがプロ入りしてからしばらくの間は苦労したようです。
年俸1,000万円に到達するまでに5年を要し、1億円を超えたのはプロ13年目の1994年のことでした。
年俸推移としては常に右肩上がりだったわけではなく、年俸ダウンを9回も経験しています。
巨人時代の2003年にキャリア最高年俸の3億円に到達し、2007年の横浜移籍後は成績とともに年俸も下降線をたどりました。
工藤公康さんの生涯年俸は約42億2,160万円(現役時代35億2,160万円・監督時代7億円)でした。
現役:35億2,160万円(契約金除く)
監督:7億円
合計:約42億2,160万円(契約金除く)
※年俸額は推定です。
工藤公康の年俸推移~現役
工藤公康さんの現役時代(西武→ダイエー→巨人→横浜→西武)の年俸推移は、以下の通りです。
工藤公康さんの現役時代(西武→ダイエー→巨人→横浜→西武)の年俸推移
- 1981年 6,000万円(契約金・ドラフト6位)
- 1982年 400万円
- 1983年 600万円
- 1984年 680万円
- 1985年 560万円
- 1986年 1,520万円
- 1987年 2,900万円
- 1988年 5,300万円
- 1989年 5,500万円
- 1990年 4,600万円
- 1991年 5,600万円
- 1992年 8,500万円
- 1993年 9,500万円
- 1994年 1億6,000万円
- 1995年 1億6,000万円
- 1996年 1億6,000万円
- 1997年 1億4,500万円
- 1998年 1億6,000万円
- 1999年 1億5,000万円
- 2000年 1億5,000万円+契約金7,500万円
- 2001年 3億円
- 2002年 2億4,000万円
- 2003年 3億円
- 2004年 2億8,000万円
- 2005年 2億9,000万円
- 2006年 2億9,000万円
- 2007年 9,000万円
- 2008年 1億1,000万円
- 2009年 5,000万円
- 2010年 3,000万円
合計:35億2,160万円 ※契約金除く
※年俸額は推定です。
工藤公康の年俸推移~監督
工藤公康さんの監督時代の年俸推移は、以下の通りです。
工藤公康の監督での年俸推移
2015年 1億円
2016年 1億円
2017年 1億円
2018年 1億円
2019年 1億円
2020年 1億円
2021年 1億円
合計:7億円
※年俸額は推定です。
工藤公康の日本一の回数と通算成績・年俸推移~まとめ
今回は、優勝請負人・工藤公康さんが日本一になった回数は何回なのか、勝利数など通算成績と年俸推移を現役と監督別で見てきました。
工藤公康さんが日本一になった回数は16回(現役時代11回・監督時代5回)で、勝利数など通算成績は現役時代が635試合に登板し224勝142敗で防御率3.45、監督時代は978試合で558勝278敗42引分で勝率.596でした。
年俸は生涯年俸が約42億2,160万円(現役時代35億2,160万円・監督時代7億円)、キャリア最高年俸が巨人時代の2003年の3億円、年俸推移としては常に右肩上がりだったわけではなく年俸ダウンを9回も経験しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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