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落合博満の三冠王の回数は?ホームラン数など通算成績と年俸推移まとめ!

2022年シーズンに村上宗隆選手が三冠王に輝いたことで三冠王の話題がよく取り上げられるようになりましたが、今回の落合博満さんほど三冠王のイメージが定着している野球人はいないのではないでしょうか。

はたして落合博満さんが三冠王になった回数は何回なのでしょうか?

落合博満さんはホームラン数や安打数などで素晴らしい通算成績を残しており、年俸推移においても日本人選手として初めての1億円プレーヤーになっています。

また、落合博満さんは選手としてだけでなく監督としても驚異的な成績を残し、野球界では常に大きな話題となっていました。

今回は、落合博満さんの三冠王の回数やホームラン数など通算成績と年俸推移などをまとめていきます。

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落合博満の三冠王の回数

落合博満さんの三冠王の回数は3回(1982・1985・1986年)で、現時点で史上最多です。(2022年シーズン終了時点)

1982年の28歳での三冠王は2022年に村上宗隆選手に更新されるまで最年少記録でした。

また、2年連続三冠王を達成したのは王貞治さん(1973・1974年)とランディ・バースさん(1985・1986年)と落合博満さんの3人のみです。

落合博満さんの三冠王の回数
3回(1982・1985・1986年)

タイトル
首位打者:5回(1981~1983・1985・1986年)
本塁打王:5回(1982・1985・1986・1990・1991年)
打点王:5回(1982・1985・1986・1989・1990年)
最高出塁率:7回(1982・1985~1988・1990・1991年)
最多安打:1回(1981~1983・1982年)など

表彰
最優秀選手:2回(1982・1985年)
ベストナイン:10回(1981~86年・1988~1991年)
正力賞:1回(2007年)など

※記録は2022年シーズン終了時点

落合博満のホームラン数など通算成績

落合博満さんは現役として20年間プレーし、監督は8年間務めています。

現役時代・監督時代ともに非の打ち所のない素晴らしい通算成績で、ホームラン数510本は歴代6位、打率.311も堂々のトップ10入りです。

落合博満さんの現役時代と監督時代の通算成績は、以下の通りです。

落合博満の通算成績
現役:2236試合 打率.311 本塁打510 打点1564 安打2371(リーグ優勝3回、日本一1回)
監督:1150試合 629勝491敗 30引分 勝率.562(リーグ優勝4回、日本一1回)

では、落合博満さんの通算成績を現役時代と監督時代に分けて見ていきましょう。

落合博満の通算成績~現役

落合博満さんは1979年から1998年までロッテ→中日→巨人→日本ハムの4球団で20年間現役でプレーしました。

通算打撃成績は2236試合に出場して、打率.311、ホームラン数510本、1564打点という成績を残しています。

プロ入り3年目から1軍でレギュラーに定着すると、早くも1981年に初タイトルの首位打者を獲得、翌1982年には三冠王に輝き、ロッテ時代は毎年のようにタイトルを獲得しました。

特に1985~1986年には2年連続三冠王を獲得しましたが、打率3割6分超え、ホームラン数50本以上、打点もゆうに100打点以上をマークしており、明らかにキャリア通しての全盛期だったといえます。

翌1987年に中日に移籍後は成績は緩やかに下降していき、ホームラン王と打点王のタイトルは獲得したものの首位打者に輝いたのは1986年が最後でした。

落合博満さんの年度別打撃成績は、以下の通りです。

落合博満の年度別打撃成績

年度球団試合打率本塁打打点
1979ロッテ36.23427
1980ロッテ57.2831532
1981ロッテ127.3263390
1982ロッテ128.3253299
1983ロッテ119.3322575
1984ロッテ129.3143394
1985ロッテ130.36752146
1986ロッテ123.36050116
1987中日125.3312885
1988中日130.2933295
1989中日130.32140116
1990中日131.29034102
1991中日112.3403791
1992中日116.2922271
1993中日119.2851765
1994巨人129.2801568
1995巨人117.3111765
1996巨人106.3012186
1997日本ハム113.262343
1998日本ハム59.235218
通算2236.3115101564

※赤太字はリーグ最高(タイトル)

落合博満の通算成績~監督

落合博満さんの監督時代は2004~2011年の8年間で、中日ドラゴンズで指揮を執りました。

監督通算8年間で1150試合629勝491敗30引分の勝率.562で、リーグ優勝が4回、日本一が1回、すべてAクラスという驚異的な成績を残しています。

日本シリーズにも5回進出していますから名選手であったとともに名監督だったといえるでしょう。

落合博満の年度別監督成績

年度球団試合勝利敗戦引分勝率順位
2004中日13879563.5851位
2005中日14679661.5452位
2006中日14687545.6171位
2007中日14478642.5492位
2008中日14471685.5113位
2009中日14481621.5662位
2010中日14479623.5601位
2011中日144755910.5601位
通算115062949130.562

※2007年は日本一

落合博満の年俸推移

続いて、落合博満さんの年俸推移を現役と監督別で見ていきましょう。

落合博満さんは1978年ドラフト3位でロッテに契約金2,700万円、年俸360万円で入団しました。

安定した成績とともに年俸は1992年まで順調に右肩上がりに推移し、ダウンしたのは1993年と1997年の2回のみでした。

そして、落合博満さんの年俸で特筆すべきは1987年に日本人選手として初めての1億円プレーヤーとなったことでしょう。

その後も年俸は上がり続け1991年には2億円、翌1992年には3億円を突破しました。

最高年俸は現役時代が3億8,000万円(1994~1996年)、監督時代が1億5,000円(2007~2011年)です。

落合博満さんの現役・監督を合わせた生涯年俸は、44億1,340万円(契約金除く)となっています。

落合博満の生涯年俸
現役:33億6,340万円(契約金除く)
監督:10億5,000万円
合計(28年):44億1,340万円(契約金除く)
※年俸額は推定です。

落合博満の年俸推移~現役

落合博満さんの現役時代の年俸推移は、以下の通りです。

落合博満の現役時代の年俸推移

  • 1978年 2,700万円(契約金・ドラフト3位ロッテ)
  • 1979年 360万円(ロッテ)
  • 1980年 360万円(ロッテ)
  • 1981年 540万円(ロッテ)
  • 1982年 1,600万円(ロッテ)
  • 1983年 5,400万円(ロッテ)
  • 1984年 5,940万円(ロッテ)
  • 1985年 5,940万円(ロッテ)
  • 1986年 9,700万円(ロッテ)
  • 1987年 1億3,000万円(中日)
  • 1988年 1億3,000万円(中日)
  • 1989年 1億3,000万円(中日)
  • 1990年 1億6,500万円(中日)
  • 1991年 2億2,000万円(中日)
  • 1992年 3億円(中日)
  • 1993年 2億5,000万円(中日)
  • 1994年 3億8,000万円(巨人)
  • 1995年 3億8,000万円(巨人)
  • 1996年 3億8,000万円(巨人)
  • 1997年 3億円(日本ハム)
  • 1998年 3億円(日本ハム)

合計:33億6,340万円 ※契約金除く

落合博満の年俸推移~監督

落合博満さんの監督時代(中日)での年俸推移は、以下の通りです。

落合博満の監督時代(中日)の年俸推移

  • 2004年 1億円
  • 2005年 1億円
  • 2006年 1億円
  • 2007年 1億5,000万円
  • 2008年 1億5,000万円
  • 2009年 1億5,000万円
  • 2010年 1億5,000万円
  • 2011年 1億5,000万円

合計:10億5,000万円 

※年俸額は推定です。

落合博満の三冠王の回数と通算成績・年俸推移~まとめ

今回は、落合博満さんの三冠王の回数やホームラン数など通算成績と年俸推移などをまとめてきました。

落合博満さんの三冠王の回数は史上最多の3回、通算成績は現役時代が2236試合に出場して打率.311、ホームラン数510本、1564打点、2371安打、監督時代は1150試合で629勝491敗30引分で勝率.562でリーグ優勝が4回、日本一が1回という凄さでした。

年俸は1992年まで順調に右肩上がりに推移しダウンしたのは2回のみ(1993年と1997年)、最高年俸は現役時代が3億8,000万円(1994~1996年)、監督時代が1億5,000円(2007~2011年)、生涯年俸は44億1,340万円(現役時代33億6,340万円・監督時代10億5,000万円)、日本人選手初の1億円プレーヤーでした。

落合博満さんはプレーヤーとしても監督としても超一流であったのは間違いありません。

どこかのチームの監督として復帰することが期待されます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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