大相撲の大関の語源・地位は?何人いてもいいのか人数なども!

大相撲ではその地位の名前がさまざまで独特ですが、大関もそのひとつです。

語源に関しては筆者もよくわかっていませんでしたが、地位や人数に関してはかなり意外な経緯がありました。

そんな大関という地位の歴史を知ると、なぜ横綱大関を置かなければならないのかもよく理解できるようになるはずです。

今回は、大相撲の大関の語源・地位と大関は何人いてもいいのか人数などについて見ていきたいと思います。

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大相撲の大関の語源

大相撲の大関の語源は、「大関取」とされています。

相撲が行われるようになった初期の頃は、最上位の力士のことを「最手(ほて)」と呼ばれていましたが,その後、室町時代あたりから「関(せき)」と呼ばれるようになりました。

この「関」とは「関門」のことで、乗り越えるのが大変難しいという意味があります。

その「関」を乗り越えた力士に対し敬意を表して「大」の字を冠して大関と呼ぶようになったというのが語源といわれています。

まさに「大関取」です。

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大相撲の大関の地位

大相撲の地位で最高位はもちろん横綱ですが、大関は横綱に次ぐ地位で三役(大関・関脇・小結)の最上位となります。

このことは相撲に詳しくなくても、ほとんどの方がご存知だと思います。

しかし、大関が以前は番付の最高位に君臨していたことはあまり知られていないかもしれません。

実は番付に横綱が登場するのは1890年(明治23年)のことで、最初のうちは儀式を行う場合の名称に過ぎませんでした。

そして、大相撲の制度として横綱が最高位に定められたのは、1909年(明治42年)のことです。

つまり、大関の地位は大相撲初期の江戸時代から1909年(明治42年)までは最高位だったのです。

ちなみに現在、大関の月給が250万円、飛行機はファーストクラス、鉄道(新幹線)は、グリーン席の利用が許されています。

また、また師匠の了承を得て引退後1年以上経過していれば部屋を開くこともできます。

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大相撲の大関~人数は何人いてもいい?

大相撲の関の人数は、東西1人ずつ最低2人置かなければならないとされ、上限は特にありません。

適任者がいなければ、例えば江戸時代などは看板大関といって、ただ名前だけの大関を置いたこともありました。

その後、大関が1人以下の場合は、形式上は横綱が大関を兼務する「横綱大関」が置かれることになっています。

これまでの長い大相撲の歴史の中で、大関の人数は1人もいない場所もあれば最多人数としては6大関が同時に在籍した場所もあります。

大相撲の大関の人数~最多

大相撲の大関の人数の最多は上述のように6大関同時在籍で、5大関は現在まで17例あります。

まさに群雄割拠といえる状態で、このうち3人の力士は横綱に昇進しています。

6大関
鶴竜・稀勢の里・琴奨菊・把瑠都・日馬富士・琴欧洲
2012年(平成24年)5月場所~2012年(平成24年)9月場所までの3場所

大相撲の大関の人数~空位(不在)

逆に、大関が1人もいない大関空位(不在)になった場所はあるのでしょうか?

大関空位(不在)の場所は現在まで2例あり、いずれも前場所に在位していた大関が横綱に昇進したことによって発生しました。

1904年(明治37年)1月場所~1905年(明治38年)1月場所までの3場所
常陸山と2代目梅ヶ谷の横綱同時昇進により発生し、国見山と荒岩の大関同時昇進により終了

1981年(昭和56年)9月場所
千代の富士の横綱昇進により発生し、琴風の大関昇進により終了

大相撲の大関の人数~1人大関

大相撲の大関の人数が1人の1人大関の場所は現在まで12例あり、以下の通りです。

なお、1955年(昭和30年)1月場所~5月場所の三根山と1955年(昭和30年)9月場所の大内山の1人大関の場所は、横綱大関も置かれず、本当の意味での1人大関でした。

1936年(昭和11年)5月場所:清水川

1938年(昭和13年)1月場所:鏡岩

1944年(昭和19年)5月場所:前田山

1955年(昭和30年)1月場所~5月場所の2場所:三根山

1955年(昭和30年)9月場所:大内山

1959年(昭和34年)5月場所~9月場所の3場所:琴ヶ濱

1966年(昭和41年)7月場所:豊山

1975年(昭和50年)1月場所:貴ノ花

1979年(昭和54年)11月場所~1980年(昭和55年)1月場所の2場所:貴ノ花

1981年(昭和56年)5月場所~7月場所の2場所:千代の富士

1981年(昭和56年)11月場所~1982年(昭和57年)1月場所の2場所:琴風

2020年(令和2年)3月場所:貴景勝

※記録は、2020年3月27日現在のものです。

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大相撲の大関の語源のまとめ

今回は、大相撲の大関の語源・地位と大関は何人いてもいいのか人数などについて見てきました。

大相撲の大関の語源は「大関取」とされ、地位は横綱に次ぎ三役(大関・関脇・小結)の最上位です。

大関の人数は、東西1人ずつの最低2人で上限はなし、空位(不在)の場所は現在まで2例、最多人数は6大関が同時に在籍した記録があります。

横綱が最高位に定められた1909年(明治42年)まで長きに渡って大関の地位が最高位だったのは意外でしたが、横綱大関を置かなければならない理由はよくわかりました。

横綱を脅かす地位としてこれからも強い大関がどんどん登場してくるのを期待したいですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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