石井一久さんは日本では長年、主にヤクルト・スワローズのエースとして活躍し、メジャーリーグに移籍してからも安定した成績を残しました。
打者を次々と三振に打ち取っていくシーンはとても印象的でした。
2021~2023年には楽天イーグルスの監督にも就任し奮闘しましたが、選手から監督までの通算成績はどんなものでしょうか?
また、年俸推移やキャリア最高年俸、生涯年俸なども気になります。
今回は、石井一久さんのメジャーリーグなど通算成績や監督までの年俸推移について見ていきます。
石井一久のメジャーなど通算成績
石井一久さんは日本プロ野球で18年、メジャーリーグで4年の合わせて22年間、現役でプレーしました。
ほとんどが先発投手としての登板で、22年間の現役生活で挙げた通算勝利数は182勝です。
最多勝のタイトルこそないものの毎年、着実に勝ち星を重ね、22年で10回の二桁勝利をあげています。
故障したシーズン以外は成績が大きく落ちることはほとんどなく、キャリアを通して安定して活躍しました。
748試合 182勝137敗 1セーブ 4ホールド 防御率3.80
では、石井一久さんの通算成績を日本プロ野球(選手・監督)とメジャーリーグ別で見ていきましょう。
日本プロ野球
石井一久さんは1991年ドラフト1位で高卒ルーキーとしてヤクルトに入団し、1992~2001年と2006~2013年の18年間、日本プロ野球においてはヤクルトと西武でプレーしました。
石井一久さんの日本プロ野球での通算成績は、419試合に登板し143勝103敗1セーブ4ホールドで防御率は3.63でした。
獲得したタイトルは最優秀防御率が1回(2000年)、最多奪三振が2回(1998・2000年)、最高勝率が1回(1995年)です。
奪三振率が高く、奪三振王に2回(1998・2000年)輝いています。
石井一久さんの日本プロ野球での年度別成績と通算成績は、以下の通りです。
石井一久の日本プロ野球での年度別成績と通算成績
年度 | 球団 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 防御率 |
1992 | ヤクルト | 12 | 0 | 0 | 0 | – | 4.18 |
1993 | ヤクルト | 19 | 3 | 1 | 0 | – | 4.70 |
1994 | ヤクルト | 54 | 7 | 5 | 0 | – | 4.08 |
1995 | ヤクルト | 26 | 13 | 4 | 1 | – | 2.76 |
1996 | ヤクルト | 8 | 1 | 5 | 0 | – | 5.23 |
1997 | ヤクルト | 18 | 10 | 4 | 0 | – | 1.91 |
1998 | ヤクルト | 28 | 14 | 6 | 0 | 0 | 3.30 |
1999 | ヤクルト | 23 | 8 | 6 | 0 | 0 | 4.80 |
2000 | ヤクルト | 29 | 10 | 9 | 0 | 0 | 2.61 |
2001 | ヤクルト | 27 | 12 | 6 | 0 | 0 | 3.39 |
2006 | ヤクルト | 28 | 11 | 7 | 0 | 0 | 3.44 |
2007 | ヤクルト | 28 | 9 | 10 | 0 | 0 | 4.16 |
2008 | 西武 | 25 | 11 | 10 | 0 | 0 | 4.32 |
2009 | 西武 | 22 | 9 | 9 | 0 | 0 | 4.29 |
2010 | 西武 | 18 | 9 | 6 | 0 | 0 | 3.70 |
2011 | 西武 | 23 | 6 | 9 | 0 | 1 | 4.31 |
2012 | 西武 | 24 | 10 | 5 | 0 | 0 | 3.33 |
2013 | 西武 | 7 | 0 | 1 | 0 | 3 | 6.75 |
日本通算 | 419 | 143 | 103 | 1 | 4 | 3.63 |
メジャーリーグ
石井一久さんは2002年にメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースに移籍し、2005年にはニューヨーク・メッツに在籍し、メジャーリーグでは4年間プレーしました。
石井一久さんのメジャーリーグでの通算成績は、105試合に登板し39勝34敗で防御率は4.44でした。
メジャーリーグ移籍1年目にキャリアハイに並ぶ14勝をあげ、メジャーリーグでも日本プロ野球と同じく安定した成績を残しています。
日本プロ野球に復帰してからの活躍を考えると、メジャーリーグに残っていればまだまだ成績を残していたのではないでしょうか。
石井一久さんのメジャーリーグでの年度別成績と通算成績は、以下の通りです。
石井一久のメジャーリーグでの年度別成績と通算成績
年度 | 球団 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 防御率 |
2002 | LAD | 28 | 14 | 10 | 0 | 0 | 4.27 |
2003 | LAD | 27 | 9 | 7 | 0 | 0 | 3.86 |
2004 | LAD | 31 | 13 | 8 | 0 | 0 | 4.71 |
2005 | NYM | 19 | 3 | 9 | 0 | 0 | 5.14 |
メジャー通算 | 105 | 39 | 34 | 0 | 0 | 4.44 |
※LAD:ロサンゼルス・ドジャース、NYM:ニューヨーク・メッツ
監督
石井一久さんは現役引退後、2018年に楽天の取締役GMに就任、2021~2023年には監督に就任しました。
監督就任初年度の2021年はAクラスの3位でシーズンを終えましたが、続く2022・2023年は4位とBクラスに転落し、そして2023年オフに監督を辞任しています。
石井一久の年度別監督成績
年度 | 球団 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 順位 |
2021 | 楽天 | 143 | 66 | 62 | 15 | .516 | 3位 |
2022 | 楽天 | 143 | 69 | 71 | 3 | .493 | 4位 |
2023 | 楽天 | 143 | 70 | 71 | 2 | .496 | 4位 |
通算 | 429 | 205 | 204 | 20 | .501 |
石井一久の監督までの年俸推移
続いて、石井一久さんの年俸推移と生涯年俸を見ていきましょう。
石井一久さんは1991年に契約金8,000万円、年俸700万円でヤクルトに入団しました。
年俸は右肩上がりに推移し8年目の1999年に大台の1億円を突破、以降は監督時代を含めて年俸が1億円を下回ることはなく、日本プロ野球での最高年俸は2009年の西武時代の2億5,000万円です。
2002年に海を渡りメジャーリーグに移籍すると年俸はさらに跳ね上がり、2005年のメジャー最終年となったニューヨーク・メッツ時代に最高年俸357万5,000ドル(約4億円)を獲得しています。
日本プロ野球(選手+監督)とメジャーリーグを合わせた生涯年俸は、約36億6,580万円(契約金除く)となっています。
日本プロ野球(選手):22億6,580万円
日本プロ野球(監督):3億円
メジャーリーグ:約11億円(1,002万5,000ドル)
合計:約36億6,580万円(契約金・出来高除く)
※年俸額は推定です。
日本プロ野球(監督時代含む)
石井一久さんの監督時代を含んだ日本プロ野球での年俸推移は、以下の通りです。
石井一久の日本プロ野球での年俸推移(監督時代含む)
- 1991年 8,000万円(ヤクルト)※契約金・ドラフト1位
- 1992年 700万円(ヤクルト)
- 1993年 980万円(ヤクルト)
- 1994年 1,200万円(ヤクルト)
- 1995年 2,800万円(ヤクルト)
- 1996年 5,100万円(ヤクルト)
- 1997年 4,000円(ヤクルト)
- 1998年 6,800万円(ヤクルト)
- 1999年 1億1,000万円(ヤクルト)
- 2000年 1億2,000万円(ヤクルト)
- 2001年 1億5,000万円(ヤクルト)
- 2006年 2億4,000万円+出来高6,000万円(ヤクルト)
- 2007年 2億2,000万円(ヤクルト)
- 2008年 2億2,000万円(西武)
- 2009年 2億5,000万円(西武)
- 2010年 1億9,000万円(西武)
- 2011年 1億9,000万円(西武)
- 2012年 1億7,000万円(西武)
- 2013年 1億9,000万円(西武)
- 2021年 1億円(楽天)※監督
- 2022年 1億円(楽天)※監督
- 2023年 1億円(楽天)※監督
合計:25億6,580万円 ※契約金・出来高除く
※年俸額は推定です。
メジャーリーグ
石井一久さんのメジャーリーグでの年俸推移は、以下の通りです。
石井一久のメジャーリーグでの年俸推移
- 2002年 90万ドル(ロサンゼルス・ドジャース)
- 2003年 257万5,000ドル(ロサンゼルス・ドジャース)
- 2004年 297万5,000ドル(ロサンゼルス・ドジャース)
- 2005年 357万5,000ドル(ニューヨーク・メッツ)
合計:1,002万5,000ドル(約11億円)
※年俸額は推定です。
石井一久のメジャーから監督まで通算成績~まとめ
今回は、石井一久さんのメジャーリーグなど通算成績や監督までの年俸推移について見てきました。
石井一久さんの日本プロ野球とメジャーリーグでの通算成績は748試合に登板して、182勝137敗1セーブ4ホールド 防御率3.80で、キャリアを通して概ね安定した成績を残しています。
監督としての3年間の成績は就任初年度の2021年は3位、続く2022・2023年は4位と優勝には届きませんでした。
安定した成績とともに年俸は右肩上がりに推移し、日本プロ野球での最高年俸は2009年の西武時代の2億5,000万円、キャリア最高年俸は2005年のニューヨーク・メッツ時代の357万5,000ドル(約4億円)、監督時代を含めた生涯年俸は約36億6,580万円(契約金除く)です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント
メジャー時代の年俸、円換算が1桁間違ってます
しゅう様、ご指摘ありがとうございます。
確認の上、修正いたしました。
今後ともよろしくお願いします。