近年はメジャーリーグで活躍する日本人選手も珍しくなくなりましたが、そのパイオニアともいえるのが野茂英雄さんです。
”トルネード投法”と呼ばれる個性的なピッチングフォームから投げ込まれる速球とフォークボールを武器に、日米で三振の山を築き「ドクターK」の異名を取りました。
そんな野茂英雄さんは日本では近鉄バファローズ、メジャーリーグではドジャースはじめ多くの球団で活躍しましたが、日米での通算成績はどうだったのでしょうか?
年俸推移やキャリア最高年俸、生涯年俸なども気になります。
今回は、近鉄からメジャーリーグへ移籍して活躍した野茂英雄さんの通算成績と年俸推移を見ていきます。
野茂英雄の通算成績
野茂英雄さんは日本プロ野球(近鉄バファローズ)で5年、メジャーリーグ(MLB)で12年(マイナーリーグ除く)の合わせて17年間、日米プロ野球でプレーしました。
野茂英雄さんが17年間の日米プロ野球で挙げた日米通算勝利数は201勝で、浮き沈みはあったもののキャリア終盤の3年間以外は安定した成績を残しました。
日本プロ野球(NPB)ではルーキーイヤーから4年連続で最多勝・最多奪三振、メジャーリーグ(MLB)では2回のノーヒットノーランと2回の最多奪三振という快挙を成し遂げています。
日本プロ野球(NPB):139試合 78勝46敗 1セーブ 防御率3.15
メジャーリーグ(MLB):323試合 123勝109敗 防御率4.24
日米通算成績:462試合 201勝155敗 1セーブ 防御率3.86
では、野茂英雄さんの通算成績を日本プロ野球(近鉄)とメジャーリーグ別で見ていきましょう。
野茂英雄の年度別成績~近鉄
野茂英雄さんは1989年ドラフト1位で近鉄バファローズに入団し、1990~1994年の5年間、日本プロ野球においては全期間を近鉄バファローズでプレーしました。
日本プロ野球(近鉄)での通算成績は、139試合に登板し78勝46敗1セーブで防御率は3.15でした。
ルーキーイヤーに最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占し、さらにベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPも獲得するなど大活躍しました。
その後、1993年まで4年連続で最多勝・最多奪三振のタイトルを獲得しました。
日本プロ野球(近鉄)での最後のシーズンとなった1994年は右肩痛でシーズン途中離脱を余儀なくされ、いよいよ1995年に海を渡りメジャーリーグに移籍します。
野茂英雄さんの日本プロ野球(近鉄)での年度別成績と通算成績は、以下の通りです。
野茂英雄の日本プロ野球(近鉄)での年度別成績と通算成績
年度 | 球団 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 防御率 |
1990 | 近鉄 | 29 | 18 | 8 | 0 | – | 2.91 |
1991 | 近鉄 | 31 | 17 | 11 | 1 | – | 3.05 |
1992 | 近鉄 | 30 | 18 | 8 | 0 | – | 2.66 |
1993 | 近鉄 | 32 | 17 | 12 | 0 | – | 3.70 |
1994 | 近鉄 | 17 | 8 | 8 | 0 | – | 3.63 |
NPB通算 | 139 | 78 | 46 | 1 | – | 3.15 |
※赤太字はリーグ最高(タイトル)
タイトル
最多勝:4回(1990~1993年)
最優秀防御率:1回(1990年)
最多奪三振:4回(1990~1993年)
最高勝率:1回(1990年)
表彰
沢村賞:1回(1990年)
MVP:1回(1990年)
バストナイン:1回(1990年)
新人王:1回(1990年)など
野茂英雄の年度別成績~メジャーリーグ
野茂英雄さんは1995年にロサンゼルス・ドジャースに移籍して2006年にカンザスシティ・ロイヤルズで引退するまでの12年間(マイナーリーグ除く)、7球団のメジャーリーグ球団に在籍しました。
勝利数などメジャーリーグ(MLB)での通算成績は、323試合に登板し123勝109敗で防御率は4.24です。
成績に浮き沈みはありますが、メジャーリーグ12年間で7回の二桁勝利を挙げ通算勝利数120勝を超える成績を残しているのはさすがという他ありません。
最多勝こそ獲れなかったものの2回の最多奪三振(1995・2001年)を獲得し、2回のノーヒットノーラン(1996・2001年)を達成しました。
野茂英雄さんの通算勝利数などメジャーリーグ(MLB)での年度別成績と通算成績は、以下の通りです。
野茂英雄のメジャーリーグ(MLB)での年度別成績と通算成績
年度 | 球団 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 防御率 |
1995 | LAD | 28 | 13 | 6 | 0 | – | 2.54 |
1996 | LAD | 33 | 16 | 11 | 0 | – | 3.19 |
1997 | LAD | 33 | 14 | 12 | 0 | – | 4.25 |
1998 | LAD/NYM | 29 | 6 | 12 | 0 | – | 4.92 |
1999 | MIL | 28 | 12 | 8 | 0 | – | 4.54 |
2000 | DET | 32 | 8 | 12 | 0 | – | 4.74 |
2001 | BOS | 33 | 13 | 10 | 0 | – | 4.50 |
2002 | LAD | 34 | 16 | 6 | 0 | – | 3.39 |
2003 | LAD | 33 | 16 | 13 | 0 | – | 3.09 |
2004 | LAD | 18 | 4 | 11 | 0 | – | 8.25 |
2005 | TB | 19 | 5 | 8 | 0 | – | 7.24 |
2008 | KC | 3 | 0 | 0 | 0 | – | 18.69 |
MLB通算 | 323 | 123 | 109 | 0 | – | 4.24 |
※LAD:ロサンゼルス・ドジャース、NYM:ニューヨーク・メッツ、MIL:ミルウォーキー・ブルワーズ、DET:デトロイト・タイガース、BOS:ボストン・レッドソックス、TB:タンパベイ・レイズ、KC:カンザスシティ・ロイヤルズ
タイトル
最多奪三振:2回(1995・2001年)
表彰
新人王:1回(1995年)など
野茂英雄の年俸推移
続いて、野茂英雄さんの年俸推移とキャリア最高年俸、生涯年俸を見ていきましょう。
ルーキーイヤーから最多勝と最優秀防御率などのタイトルを獲得した野茂英雄さんですから年俸も概ね右肩上がりに推移しています。
4年目の1993年には大台の1億円を突破、日本プロ野球(近鉄)時代の最高年俸は1994年の1億4,000万円でした。
そして、メジャーリーグに移籍して年俸はさらに跳ね上がり、ロサンゼルス・ドジャース時代の2004年にキャリア最高年俸の900万ドル(約9億円)に到達します。
生涯年俸は日本プロ野球(近鉄)で3億6,800万円、メジャーリーグで3,451万5,000ドル(約35億円)の合わせて約38億6,800万円です。
日本プロ野球(近鉄):3億6,800万円
メジャーリーグ:3,451万5,000ドル(約35億円)
合計:約38億6,800万円
※契約金・出来高は除く
※年俸額は推定
野茂英雄の年俸推移~近鉄
野茂英雄さんの日本プロ野球(近鉄)での年俸推移は、以下の通りです。
野茂英雄さんの日本プロ野球(近鉄)での年俸推移
- 1989年 1億2,000万円(契約金・ドラフト1位)
- 1990年 1,000万円
- 1991年 3,600万円
- 1992年 6,600万円
- 1993年 1億1,600万円
- 1994年 1億4,000万円
合計:3億6,800万円 ※契約金除く
※年俸額は推定です。
野茂英雄の年俸推移~メジャーリーグ
野茂英雄さんのメジャーリーグ(MLB)での年俸推移は、以下の通りです。
野茂英雄さんのメジャーリーグ(MLB)での年俸推移
- 1995年 10万ドル+契約金200万ドル(LAD)
- 1996年 60万ドル(LAD)
- 1997年 90万ドル(LAD)
- 1998年 280万ドル(LAD→NYM)
- 1999年 292万5,000ドル+25万ドル(MIL)
- 2000年 125万ドル(DET)
- 2001年 325万ドル(BOS)
- 2002年 450万ドル(LAD)
- 2003年 775万ドル(LAD)
- 2004年 900万ドル(LAD)
- 2005年 80万ドル(TB)
- 2006年 -(マイナー)
- 2007年 -(マイナー)
- 2008年 39万ドル(KC)
合計:3,451万5,000ドル(約35億円)※契約金・出来高除く
※年俸額は推定です。
野茂英雄の通算成績と年俸推移~まとめ
今回は、近鉄からメジャーリーグへ移籍して活躍した野茂英雄さんの通算成績と年俸推移を見てきました。
野茂英雄さんの日米通算成績は462試合に登板して201勝155敗1セーブ、防御率3.86でした。
日本プロ野球(近鉄)ではルーキーイヤーから4年連続で最多勝・最多奪三振、メジャーリーグ(MLB)では2回のノーヒットノーランと2回の最多奪三振という快挙を成し遂げています。
年俸推移は概ね右肩上がりで、キャリア最高年俸はドジャース時代の2004年に900万ドル(約9億円)、生涯年俸は日本プロ野球(近鉄)で3億6,800万円、メジャーリーグで3,451万5,000ドル(約35億円)の合わせて約38億6,800万円でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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